同年12月にはサウスカロライナ州が早くも連邦からの脱退を宣言。翌1861年2月までにミシシッピ州、フロリダ州、アラバマ州、ジョージア州、ルイジアナ州、テキサス州も連邦からの脱退を宣言した。2月4日にはこの7州が参加したアメリカ連合国を結成、ジェファーソン・デイヴィスが暫定大統領に指名された(同年11月に行われた選挙で正式に当選している)。3月4日にリンカーンが大統領に就任すると、4月12日に南軍が連邦のサムター要塞を砲撃して戦端が開かれた(サムター要塞の戦い)。5月までにバージニア州、アーカンソー州、テネシー州、ノースカロライナ州が連合国に合流した。ただし奴隷州でもデラウェア州、ケンタッキー州、メリーランド州、ミズーリ州、それにバージニア州の西部(後にバージニア州から「独立」してウェストバージニア州となる)は合衆国に残った。合衆国に残ったこれらの奴隷州への対応に、リンカーン大統領は非常に苦慮する事となる[3]。4月19日にはリンカーン大統領が南部海岸線の海上封鎖を宣言した。この封鎖は大西洋岸からメキシコ湾岸まで徐々に広がり、南部経済を締め付けていった。経済学者によっては、海上封鎖はアメリカ海軍の勝利であり、戦争そのものに勝利する主要要因となったとしている[4]。
運航期間は、4月中旬から例年10月24日まで。運航開始日は春先、エリー湖から流れてくる氷が流れきってから、が目安になるため、毎年異なる。観光船の名前はローマ数字が霧の乙女号の名の後ろに付けられている。現在の保有数は4隻。霧の乙女号が撮影されている主な映画。
1860年、リヴィングストンは科学者であり探検家でもあるジョン・カーク(John Kirk (explorer))とともに再び滝を訪れ、詳細な調査を行った。この他にこの時代に滝を訪れたヨーロッパ人としては、ポルトガル人探検家Serpa Pinto、1880年に滝についての本を出版したチェコ人探検家Emil Holub、そして滝の絵画を描いたイギリス人画家Thomas Bainesなどがいる。それでも、1905年に鉄道が開通するまではヨーロッパ人による訪問はごくわずかであった。モシ・オ・トゥニャ / ヴィクトリアの滝 (ザンビア/ジンバブエ)
・カルガリーオリンピック (1988年2月13日〜2月28日) ・バンクーバーオリンピック