四季がはっきりしているが、日々の気温に差があり、冬の寒い時期は特に気温差が大きくなる傾向にある。オンタリオ湖や他の五大湖の影響を受けやすく、湖に起因する降雪も見られる。トロントの冬はときおり短期間ではあるが最高気温が−10℃(14°F)以下に下がることがあり、冷えた風の影響で体感温度がさらに寒くなることがよくある。スノーストーム(吹雪)は時折、氷や雨が混ざって降ることもあり、雪の影響で仕事や旅行のスケジュールが大きく狂うこともある。10月末から4月中旬までの期間であれば積雪の可能性がある。しかしながら、冬の期間に降り積もった雪が解けるほど気温が上がり、5〜14℃(40〜57°F)あるいはまれにこれ以上に暖かいこともある。夏のトロントは長期に渡って湿度が高いことを特徴とする。時には日中の気温が35℃(95°F)を超えることもあり、通常それほど長い期間ではないが、気温に加え、湿度が高いと不快と感じるほど暑い天気になる。春と秋は季節の移り変わりの時期で、一般に穏やかで涼しい気温になる。天気は乾燥したり雨が降ったりを繰り返す。同じ緯度にある内陸の地域と比べ、オンタリオ湖の影響を受けることから春や秋の訪れは遅く、気温は低めである[15]。
イタリア(ジェノヴァ)人のクリストファー・コロンブスはスペイン女王イサベル1世の承諾を受け、大西洋周りによるアジア諸国の「発見」を志したが、1492年に現在の西インド諸島にたどり着いた。当初は、東アジアの一部と考えられていたが、現在の大陸名の由来ともなるイタリアの探検家アメリゴ・ヴェスプッチの主張を元に新たな大陸とされた。その後、ドイツの地図製作者マルティーン・ヴァルトゼーミュラーがアメリカ大陸と命名。その名が定着していった。これをきっかけに、ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸への入植が始まった。イタリアのジョン・カボットが北アメリカ大陸の東海岸を探検し、イギリスがニューイングランド植民地の領有を宣言し、フランスもジャック・カルティエがセントローレンス川を探検した後、その一帯をヌーベルフランス植民地とするなど、南北アメリカ大陸の探検と開拓の歴史がはじまった。後にアメリカ人は「明白な天命(マニフェスト・デスティニー)」をスローガンに奥地への開拓を進め、たとえ貧民でも自らの労働で土地を得て豊かな暮らしを手に出来るという文化を形成して「自由と民主主義」理念の源流を形作っていった。またその成功が誇張も含めて旧大陸に伝わり、さらに各地からの移民を誘発する事ともなった。それは同時に先住民であるネイティブ・アメリカンと協調・交易したこともあったが、虐殺、追放して彼らの土地を奪っていったことも伴っていた。[5]
最終氷期というと長い間続いたと一般には思われているが、実際は短い周期(氷床コアの研究において発見され、ダンスガード・オシュガーサイクルと呼ばれる)で気候が激しく変動していたことがわかってきた。最寒冷期の状態が続いたのは実際は非常に短い間、おそらく2000年ほどであったと専門家の間では考えられている。最寒冷期の直前は多くの地域では砂漠も存在せず、現在よりも湿潤であったようである。特に南オーストラリアでは、4万年前から6万年前の間の湿潤な時期にアボリジニが移住したと思われる。最終氷期が終わった現在の完新世のことを後氷期と呼ぶこともある。最終氷期が終わって後氷期に移行する時に大きな「寒の戻り」がおこり一時的に氷期のような寒冷な気候になった。この時期はヤンガードリアス期(およそ1万3千年前)と呼ばれ、約10年のあいだに気温が約7.7度以上上昇したということがわかっている。これは氷期から間氷期に移行する時の急激な温暖化によって、北半球の氷床が溶解し、大量の淡水が大西洋に流入して海洋・気候のシステムに大きな影響を与えたためと言われている。
ニューヨーク州内で上位5位の祖先グループは黒人 (15.9%)、イタリア系 (14.4%)、アイルランド系 (12.9%)、及びドイツ系 (11.2%) である。2001年、ニューヨーク州内で5つの最大な宗派は:ローマ・カトリック (総計州人口の約38%)、 バプテスト (7%)、メソジスト (6%)、ユダヤ教 (5%)、及びルーテル教会 (3%)。デラウェア族、エリー族、マヒカン族、モヘガン族、モンタウク族、ニュートラル族、サポニ族、ツテロ族、ワッピンガー族、ウェンローロノン族などのインディアン部族が全域でウィグワムによる移動狩猟採集生活を営んでいた。