本土は北アメリカ大陸の中央部と北西にあり、東側は大西洋、南側をメキシコ湾とメキシコ合衆国、西側を太平洋、そして北側をカナダで囲まれる。北側に隣接するカナダとは、北緯49度線、五大湖とセントローレンス川で国境線が引かれ、カナダを挟んで北西にさらに進むと飛び地としてアラスカがある。南側はリオグランデ川を介してメキシコと接する。大陸の東側に南北にアパラチア山脈、大陸の西寄りには南北にロッキー山脈があり、山岳地帯となっている。アパラチア山脈とロッキー山脈の間は大平原になっており、農業や牧畜業が盛んである。大陸の南東端にはフロリダ半島がある。また北西部のカナダとの国境地域には五大湖と呼ばれる湖がある。アパラチア山脈の東側はニューヨーク、ワシントンD.C.、ボストンなどの都市があり人口集中地帯になっている。また、ロッキー山脈の西側の太平洋沿岸にもロサンゼルス、サンフランシスコ、シアトルなどの大都市がある。五大湖沿岸にはシカゴやデトロイトなどの大都市があるが、大陸の中西部には大都市が比較的少ない。アメリカの気候は広い国土のために極めて多様である。最北部が北極圏に属するアラスカは、年間を通じて冷涼な気候である。一方、太平洋上の諸島であるハワイは温暖な気候で、ビーチリゾートとして人気がある。本土では、北東部から北にかけて湿潤大陸性気候が占め、冬は寒いが、夏はかなり暑い。東部から中央部は亜寒帯湿潤気候だが、グレートプレーンズ周辺や、カナダとの国境部では暑くなる日も多い。南東部から南部は温暖湿潤気候で、フロリダ南端ではサバンナが見られる。西部は一般的に乾燥していてステップが広く見られ、メキシコ国境付近では砂漠が確認できる。さらに、太平洋岸南部は地中海性気候だが、太平洋岸北部へ進むとアラスカ南東端と同じく西岸海洋性気候となる。 自然災害には、メキシコ湾岸の集中豪雨、メキシコ湾岸と大西洋岸南部のハリケーン、中央部の平原に多い竜巻、カリフォルニア州の地震、南カリフォルニアの夏の終わりのスモッグと山火事、五大湖地域その他の大雪などがある。 また、アメリカ中西部〜南部からメキシコ湾沿岸にかけての地域は、北極からの寒気を遮る山脈が無いため、緯度のわりに猛烈な冷え込みを記録することがある。
しかし、ナイアガラフォールズ市とナイアガラ郡の残りの地域にとって新たな経済繁栄の時代がゆっくりと訪れている。地域や州の政府はナイアガラ地域が元々持っている物理的および文化的な利点を生かそうとし始めた。すなわち、ナイアガラ渓谷、急成長するワインの道、歴史的景観、そしてもちろんナイアガラの滝そのものである。町の過去の産業から離れてより持続可能な観光業に基づく経済に移行することは、近年、市を生き返らせつつある。2001年遅く、ニューヨーク州は、州の経済開発機関であるUSA Niagara Development Corporationを立ち上げ、特にナイアガアフォールズ市中心街の開発促進に焦点を当てている。ナイアガアフォールズの現在の開発戦略は、中心街の空き家になっていたり十分に活用されていない建物を再活性化するために、実際の経済効果を伴う注目を浴びる促進プロジェクトのような実用的なやり方に焦点を当てている。2005年に開館した新しいナイアガアフォールズ会議場、再開発されたユナイテッド・オフィス・ビル、ミストの新しい劇場、元ホリディ・イン・セレクトを再開発し市では初めてのスターバックス・コーヒーを含む幾つかのレストランのある新クラウン・プラザ・リゾート、ナイアガラ航空博物館や計画中のナイアガラ体験センターなどのアトラクション、およびもちろんセネカ・ナイアガラ・カジノ、これらはナイアガラフォールズを主要な目的地に再度配置する試みである。ナイアガラフォールズには年間800から1、000万人の観光客が訪れ、アメリカ合衆国の観光地のトップ10の一つと考えられている。
ナポレオンは、ローマ王だった実子ナポレオン2世を後継者として望んだが、同盟国側に認められず、また元フランス軍人であり次期スウェーデン王に推戴されていたベルナドッテもフランス王位を望んだが、フランス側の反発で砕かれ、紆余曲折の末、ブルボン家が後継に選ばれた(王政復古)。ナポレオン失脚後、ウィーン会議が開かれて欧州をどのようにするかが話し合われていたが、「会議は踊る、されど進まず」の言葉が示すように各国の利害が絡んで会議は遅々として進まなかった。さらに、フランス王に即位したルイ18世の政治が民衆の不満を買っていた。1815年、ナポレオンはエルバ島を脱出し、パリに戻って復位を成し遂げる。ナポレオンは自由主義的な新憲法を発布し、自身に批判的な勢力との妥協を試みた。そして、連合国に講和を提案したが拒否され、結局戦争へと進んでいく。しかし、緒戦では勝利したもののイギリス・プロイセンの連合軍にワーテルローの戦いで完敗してナポレオンの復位(百日天下)は幕を閉じることとなる(実際は95日間)。
世界で最初に水力発電が行われたのは、1888年のアメリカコロラド州のアスペン鉱山の自家用発電所である。日本では、明治23年(1890年)に足尾銅山と下野麻紡績会社で自家用水力発電が設けられたのが最初で、世界では2番目である。翌明治24年(1891年)に琵琶湖疏水の落差を利用した蹴上水力発電所が世界で3番目に設けられた。これは、一般営業用としては世界最初の施設である。この電力は京都市内に供給され、明治28年(1895年)に、日本最初の路面電車である京都電気鉄道(後に京都市電が買収)が走るようになった。当時は産業が十分に発達していなかったので、電力を自家用として用いるほかは、公共用に電灯と電車の動力として小規模に利用されるだけであった。水力発電が世界中に広がっていくのは、この後まもなくドイツで高圧の遠距離送電の技術が確立されてからである。流水は位置エネルギー・運動エネルギー・圧力エネルギーを持っている。流水の持つこれらのエネルギーを水力(すいりょく)という。流水を作用させる点を基準点とすると、高さ h (m) にある質量 m (kg) の水は、mgh (J) の位置エネルギーを有している。