連邦のひとつ、オノンダーガ族は自治権の強さで知られ、海外への旅行の際にもアメリカ政府のパスポートを必要としない。1973年に「ウーンデッド・ニー占拠」を指導し、連邦から訴追されたデニス・バンクスが、1983年、FBIから逃れるためにオノンダーガ国に亡命して話題となった。FBIはオノンダーガ国内に侵入できず、バンクスに手が出せなかった。イロコイ国家はこの「ウーンデッド・ニー占拠」では代表団を送り、オグララ・スー族の独立国家宣言に対し、真っ先にこの独立を承認した。2009年9月21日、ニューヨーク州のセネカ族国家は、セネカ部族民が西半球を主権的に旅行できる旅行身分証明書を発行するため、米国国家安全保障省と開発協定の約定書に調印した。このカードが発行されれば、セネカ族国民はアメリカの国境を自由に越え海外と行き来出来ることとなる。「インディアン・カジノ」は、保留地と連動したアメリカ連邦政府との連邦条約規定に基づくインディアン部族の権利である。貧困にあえぐインディアン部族にとってこれは、「現代のバッファロー」と呼ばれる最後の切り札である。イロコイ連邦では現在、3部族が以下のカジノを運営している。
冷戦終結後もアメリカの経済的な利益を目的としてフィリピン、パナマ、ハイチ、ベネズエラ、イランなどで、反米政権に対するクーデターの支援などが行われたという説がある。また、クーデターではないが旧東欧圏の「色の革命」には米国が積極的に関与したと言われる。日本との外交関係は、アメリカの建国が18世紀末と比較的近年であったこともあり、その歴史こそ浅いが政治的にも経済的にも非常に緊密である。19世紀に日本で明治維新を起こすきっかけの一つとなった、1854年2月のアメリカ海軍のマシュー・ペリー提督率いる「黒船」の来航を経て、同年3月に日米和親条約を締結し正式な国交を樹立した。その後1859年6月に日米修好通商条約を結んだことにより、両国間の本格的な通商関係も開始された。
500以上に上る全米のインディアン部族は、アメリカ連邦政府内務省の出先機関である「BIA(インディアン管理局)」の監視・管理下にある「部族会議」を設置しているが、これは実質的に連邦政府の傀儡である。イロコイ連邦はこの「部族会議」を最初から持たず、アメリカ連邦=BIAの干渉を一切拒否し、自治独立を実現している稀有なインディアン部族である。これはアメリカ連邦政府が条約で保証している、保留地(Reservation)の本来の姿である。イロコイの連邦制度自体、アメリカ合衆国の連邦制度の元になっており、アメリカ合衆国が13の州で独立するときにイロコイ連邦が協力して大統領制を始めとする合衆国憲法の制定にも関係している、とする見解がある。かつてアメリカ合衆国大統領は就任に当たってイロコイ連邦を表敬訪問するのが慣習となっており、近年のジョンソン大統領まで続いた。イロコイ連邦はそのヴィジョンをアメリカ合衆国に託するために協力を惜しまなかった。1780年代の合衆国憲法制定会議には、イロコイ連邦や他のインディアン民族諸国の代表団が含まれていた。イロコイはフランクリンやジェファーソンに幼いころから影響を与えたのみならず、独立から憲法の制定にいたる過程で具体的な示唆を与えていた。アメリカ合衆国としての統合はイロコイの連邦制度や協力抜きにはなかったとも言える。
NFLチームの「ワシントン・レッドスキンズ」のレッドスキンズ(Redskins)は、「赤い肌の連中」という意味であり、インディアン権利団体はこの名称の変更を要求して抗議を繰り返している。イギリスではレッド・インディアン (Red Indian) と呼ぶことがあるが、この語は差別的とみなされることが多い[1]。また、『トム・ソーヤーの冒険』にも出てくる「インジャン」と発音する呼び方は、現代アメリカにおいては「ニガー」などと同様の差別的な蔑称である。