1787年9月17日には、連合規約に代えてさらに中央集権的な合衆国憲法が激論の末に制定される。1789年3月4日に発効され、同年に初代大統領として大陸軍司令官であったジョージ・ワシントンが就任した。アメリカは、自由と民主主義を掲げたことから、当時としては珍しい民主主義国家であった。しかし、アフリカ大陸から連れてこられた奴隷やアメリカ先住民の権利はほとんど保障されなかった。結果、奴隷制度と人種差別が独立後のアメリカに長く残ることとなる。北西インディアン戦争勝利により、1795年に北西部を手に入れる。未開の地であった西部の勢力拡大を目指し、1803年のフランス領ルイジアナ買収を行なった。しかし、イギリスが西部開拓を阻んだため、1812年に米英戦争が勃発するも1814年にガン条約を締結して事態は収拾し、西部進出を進めていった。入植時から続いていた先住民との戦争を続けながらも、1819年のスペイン領フロリダ買収、1830年のインディアン移住法によりインディアンを西部に移住させると、1836年のメキシコ領テキサスでのテキサス共和国樹立と1845年のアメリカへの併合、1846年の米墨戦争によるメキシコ割譲により、西海岸にまで領土は達した。現在のアメリカ本土と呼ばれる北米大陸エリアを確立したのである。
ダウンズビュー公園は1999年の夏、カナダ初の国立都市公園構想を実現するべく、国際デザイン・コンテストに応募を募った。2000年5月に入選作品が決まり、ブルース・マウ・デザイン、OMAらを含むチームが設計した「ツリーシティ」(TREE CITY)と呼ばれるデザインが選ばれた。トロントには劇場や舞台芸術センターが多くあり、50以上のバレエとダンスの団体に加え、6つのオペラ団体と2つの交響楽団がある。カナダ国立バレエ団やカナディアン・オペラ・カンパニー、トロント交響楽団などが代表格。公演の会場となる主な劇場にはフォーシーズンズセンターやロイトムソンホール、プリンセス・オブ・ウェールズ劇場、ロイヤル・アレキサンドラ劇場、マッセイホール、トロント舞台芸術センター、エルジン劇場、ウィンターガーデン劇場、ハミングバードセンターなどがある。オンタリオプレイスには世界で最初の常設IMAXシアターであるシネスフィアがあり、その他、屋外型の大規模なコンサート会場になるモルソン・アンフィシアターもある。ハイパークでは毎年夏に「Dream in High Park」と呼ばれる地元民に人気のイベントがあり、公園内にある円形劇場でシェークスピア劇がキャンステージによって上演されている。キング通りとシムコー通りの交差点沿いの歩道には星が埋め込まれたカナダ・ウォーク・オブ・フェイムがあり、大きな業績を上げたカナダ人を称えて作られたものである。ハリウッド・ウォーク・オブ・フェイムと比べ、いくつかの点において特徴に違いがある。ディスティラリー地区は歩行者天国になっており、ブティック系のお店や美術館、レストラン、芸術家のスタジオのほか、小さな醸造所(ミルストリート[3]が特によく知られる)が建ち並ぶ。新しくできた舞台芸術劇場ヤングセンターはソウルペッパー劇団とジョージ・ブラウン・カレッジの演劇学科が本拠としている。
これに対抗し、1970年代から各部族ごとにインディアンによる「部族学校」を設立する動きが見られるようになった。インディアン完全自治の学校としては、カリフォルニア州に1971年に創設された『デガナウィダ・ケツアルコアトル短期大学』(略称D-Q大学)が知られるが、認可の喪失、学生数の減少や資金運用の不備から閉校の危機にさらされている。近年、このような動きの中、連邦や州政府の譲歩で部族語学習が部族学校などで取り入れられるようになり、現在の学童の世代と、英語のわからない三世代以前との間で言葉のコミュニケーションが実現するようになった例もある。しかし、結局部族語は保留地外では実用的でないため、絶滅の危機に瀕する言語を保存し、どう文化的に発展させていくのか、その先行きが注目されている。インディアンのコミュニティーを根本から破壊し、自殺率の増加など深刻な問題を引き起こすいま一つの社会制度が、無意味な「里親制度」である。これは、貧困のため生活困難と州が認定したインディアンの家庭から、出生前に選定して強制的に取り上げ、実の親を知らさないまま白人の家庭で育てるというものである。これも白人からすれば「インディアンを殺し、人間を救え」との発想で生まれた、一方的な草の根ボランティアの一貫であったのだが、彼らは白人の家庭で、なんらインディアンとしての文化も歴史も教えられることはなく、白人としてのみ育てられるのである。やがて物心ついた時にこの子供たちは「自分はインディアンでも白人でもない」というアイデンティティーの喪失に苦しみ、その結果、ほとんどが10代のうちにアルコール依存症になるか自殺してしまうという悲劇を生み続けている。1969〜1974年に実施された全国調査では、実に全米のインディアン児童のうち25%〜35%が、彼らの家から引き離され、州の法廷と福祉代理業者によって白人の家庭に置かれている。1974年に、これら強制的な寄宿学校制や里親制度について、デニス・バンクスは「一種の誘拐である」と批判声明を出している。
アメリカ合衆国には563の連邦承認部族政府(インディアン・テリトリー)が存在する。合衆国はこれらの部族の自治政府および、部族の主権と自決権を条約上で明記し認めている。これは、19世紀に推し進められた条約交渉の中で、強制移住をからめての保留地への定住と引き換えに連邦が出した条件である。各保留地は、アメリカ内務省所轄のBIA(インディアン管理局)の管理下にあり、これらの自治政府は、それぞれの保留地に置かれたBIA直轄の保留地事務所の監督下にある。部族政府(部族議会)は「部族領地内での立法、課税、住民権や免許の認可など、自治政府の部族の力の制限は州への制限と等しく、例えば、交戦権、外交関係の締結、硬貨や紙幣の製造などを含む」として、しばしば「インディアン保留地は独立国家に等しい力を持つ」などと表現されるが、これには注意が必要である。なぜなら、部族議会の決定はBIAの承認もしくは影響なしには行えないものであり、ほとんどの部族議会は連邦の傀儡として腐敗している。部族の行事といったものは、強弱の差こそあれ、必ず保留地管理官たちの監視下にある。自治権とは言っても、カナダの先住民のように一定の裁判権を持つわけでもなく、主権のひとつとしてよく例に挙げられる部族警察も、あくまで州警察の補助的権限しか持っていない。保留地で罪を犯した部族員は、州当局によって裁かれるのである。後述の「インディアン・カジノ」でも、カジノを持ちたい部族が連邦の許可をとりつけても州の許可が下りず、実現できないでいる例は多い。インディアンは、連邦と州の双方から縛られている。自主独立の強さで知られるイロコイ連邦の一部は、この部族議会を置いていない。つまり連邦からの金銭的な援助をいっさい断つことで、連邦が干渉できない自治力を維持しているのである。