イタリアは名目上は1882年からドイツおよびオーストリアと三国同盟を締結していたが、いわゆる「未回収のイタリア」と呼ばれた南チロル、イストリア、ダルマチアといったオーストリアとの領土問題を抱えており、仏伊通商条約を理由に局外中立を宣言していた。しかし1915年4月にイギリス・フランスの働きかけによりロンドン協定に調印し三国同盟を離脱、オーストリアへ宣戦布告した。伊墺国境の山岳地帯という地形的有利を得たオーストリア軍に対し、貧弱な装備しか持たないイタリア軍は苦戦を強いられた。単調な作戦ばかりのルイージ・カドルナの指揮の拙さも手伝い、戦術的勝利を重ねながら決定的な勝利を得る事ができないでいたイタリア陸軍だったが、第四次イゾンツォの戦いでオーストリア軍に打撃を与えた(この時、オーストリア軍はドイツ軍に救援を要請している)のに続き、アジアーゴ攻勢の頓挫やブルシーロフ攻勢の大敗によって弱体化していたオーストリア軍を破ってゴリツィアを占領した。イタリア軍の攻勢は既に崩壊しつつあったオーストリア軍を確実に追い詰めていき、第十一次イゾンツォの戦いでバインジッツァ高地を占領した。しかし1917年秋、友軍の危機を救う必要があったドイツ軍は東部戦線の状態が一段落ついたこともあり、オーストリア軍に山岳部隊を含む6個師団を援軍として派遣した。指揮権もオーストリア軍からドイツ軍へと移され、10月26日に独墺軍はトルミノ付近において突破作戦を敢行、イタリア陸軍に大打撃を与えた(カポレットの戦い)。この敗北を真摯に受け止めたイタリア軍は新たな司令官アルマンド・ディアズと英仏の支援の元に戦線を建て直し、1918年夏のピアーヴェ川の戦いではオーストリア軍の進撃を押しとどめた。ディアズはヴィットリオ・ヴェネトの戦いでオーストリア軍との戦いに決着を付ける。
ゴート島内を観光して回るトローリーバスがあり、気球やヘリコプターを通して滝を見ることもできる。ナイアガラ・ゴージ・ディスカバリー・センターのショーケースではナイアガラの自然と歴史に関する展示がある。カナダ側のクイーンビクトリア公園には手入れされた花壇があり、カナダ滝とアメリカ滝の眺めもよい。滝付近には展望タワーが二つあり、滝付近では最も高い地点からの全景が望めるスカイロンタワーと、カナダ滝を見下ろす眺めになるコニカ・ミノルタ・タワーとがある。カナダ滝のすぐ脇に展望スペース「テーブルロック」があり、真下で滝が落ちていく様子を見ることができる。かつては名前のようにテーブル状に突き出た岩だったが、後に崩れて現在の展望スペースとして整備された。ジャーニー・ビハインド・ザ・フォールズ(JBF)はカナダ滝裏側のトンネルに行くことができ、展望デッキからはカナダ滝のすぐ脇下から滝を鑑賞できる。また、滝から少し離れた地点には1916年にスペイン人技師レオナルド・トーレス・ケベードによってデザインされたケーブルカー「ワールプール・エアロ・カー」がワールプールにある。フォートエリーからフォートジョージまでのナイアガラ川沿いには、米英戦争の史跡を始め、娯楽用のトレイルがある。そのほか、ナイアガラ・フォールズビュー・カジノ・リゾートとカジノ・ナイアガラの二つのカジノがある。滝沿いの観光地区にはホテルが多く立ち並び、隣接して店が立ち並ぶクリフトンヒルがある。
19世紀の「開拓の時代」の、白人は「酋長と取り決めをしたのに、部族員が従わない」としてインディアンを、インディアンは「白人には何人代表者がいるのか、無理やり約束をさせておいて来るたびに違うことを言う」として、互いに「嘘つき」呼ばわりするという対立構図の根底には、そもそもがこれら相反する文化の違いがあった。そしてそれは、「グラッタンの虐殺」のように、家畜をめぐる些細な諍いから酋長たちが虐殺されるような悲劇を数々生んでいる。また、狩猟と交易を生業とした平原インディアンにとって「土地」は「不動産」ではなく、誰のものでもなかった。彼らは獲物を追って常に移動するものであり、ある部族をある土地から追い出したとしても、それは恒久的なものではなく、また和平を結べば共有できるものだった。白人が彼らを一区画に閉じ込め、移動を禁じるという「保留地」の考えは、平原インディアンにとってまったく理解できないものだった。血生臭いイメージでしばしば語られる平原インディアンの「部族間戦争」だが、実際にはほとんどの場合、馬をめぐっての小競り合いであり、その中で彼らが最も栄誉としたものは、「クー・スティック」と呼ばれる「?」形をした杖で、相手部族員を何回「叩く(フランス語でcoup=クー)」か、だった。こういった「スポーツとしての戦」は、ニューギニアやアフリカの原住民が今もレクリエーションとして行っているものである。見事「クー」を重ねたものは部族で祝福を受け、その数ごとに鷲の羽根を追加した見事な「羽根冠」となって、偉大な戦士を飾ったのである。現在では、「クー」に代わって部族に対する貢献が冠を飾る羽根となっている。
オンタリオ湖の名前は、イロコイの言葉で「美しい湖」または「輝く水」に由来する。カナダのオンタリオ州は、この湖の名にちなんで名付けられた。面積は19、009km?あり、四国4県を合わせた大きさとほぼ同じ。東西の長さは310kmで、南北の長さは85km。水深は最も深い場所で244mある。湖の北側はカナダのオンタリオ州に、南側はアメリカ合衆国のニューヨーク州と接している。南西のカナダとアメリカの国境にはナイアガラの滝がある。また、同滝を挟んでエリー湖につながっている。北東からはセントローレンス川に湖水が流れ込み、大西洋へとつながっている。