一方、ザンビア側ではフェンスや町によって動物達の移動が制限され、モシ・オ・トゥニャ国立公園の中だけで生活する傾向にある。また、ロッジによって建てられた防犯用フェンスも彼らの移動の妨げになっている。この地域は主にモパネ(マメ科の木)の森林サバンナ地帯が支配的で、それ以外はミオンボ(Miombo)やローデシアンチーク(Rhodesian Teak)の森と低木サバンナが多い。滝の上流水域にはヤシの森も形成されている。特筆すべきは、滝の噴煙が降り注ぐことで周囲に形成された熱帯雨林であろう。ポッドマホガニー(pod mahogany、 Afzelia Quanzensis)、コクタン(ebony)、アイボリーナッツ(ivory palm)、サトウナツメヤシ(Phoenix sylvestris、 Wild date palm)、そして多様なつる植物など、本来この地域には生息していないはずの植物たちが生育している。
オタワにある議会は二院制で、上院105名、下院308名。 詳細は「カナダ議会」を参照主な政党には中道右派・保守主義のカナダ保守党、中道左派・リベラリズムのカナダ自由党の二大政党と、中道左派・社会民主主義政党の新民主党、ケベック州の地域政党である左派のブロック・ケベコワ、環境保護主義のカナダ緑の党がある。
バルボンシート酋長の粘り強い異議申し立てで、1868年、部族は元の地に帰ることを許されたが、この例外事の理由として、ナバホの土地が、白人にとって当時は価値のない砂漠であったことが幸いした。この往復路で女・子供・老人を含めた数百人のナバホの民が死んだ。故郷には戻ったものの、そこにはすでに近隣のホピ族が住み着いてしまっており、ナバホ語での地名は失われてしまった。また、現在も続くナバホとホピの土地紛争の原因となっている。インディアンはアメリカ政府との間で、一方的な条約に署名させられ、さらに政府側が一方的にそれを破ることの繰り返しとなる。インディアンの中にはレッド・クラウドやスポッテッド・テイルのように連邦政府の側について、抵抗するインディアンを非難する者もあった。こうした状況の中で、決して条約に署名しなかったラコタ族のクレイジー・ホース(Crazy Horse)、開拓者を震え上がらせたアパッチ族のジェロニモらの抵抗は一定の戦果をあげたものの、結局は米国陸軍の兵力によって屈服させられた。20世紀後半にクレイジー・ホースは非インディアンから再評価され、サウスダコタ州ブラックヒルズに世界最大級の石像クレイジー・ホース記念碑が建設中であるが、伝統派からは猛反発を受けている。1868年にスー族と米国政府はララミー条約によって、サウスダコタ州にあるスー族の聖地ブラックヒルズは永久にスー族のものであると確約したが、ジョージ・アームストロング・カスターがブラックヒルズに金鉱を見つけると、開拓者が金を求めてブラック・ヒルズに侵入し、条約は破られた。
お互いにあらゆる国力を投入したことから、南北戦争は世界で最初の総力戦のひとつだった。最終的な動員兵力は北軍が156万人、南軍が90万人[7]に達した。両軍合わせて62万人もの死者を出し、これはアメリカがこれ以降、今日まで体験している戦役史上、最悪の死者数である。「奴隷解放宣言」により、南部の州で奴隷の扱いを受けていた黒人は解放された。しかし、南部における黒人に対する差別や偏見はその後も潜在的に残り、KKKなどの活動を生み出す土壌となった。南部では現在もなお、南北戦争は「北部による侵略戦争」(The War of Northern Agression:アメリカにおける南北戦争の別名)であったと主張する者もいる。南北戦争については次のような対立軸が考えられる。