また、シカゴの別名をWindy Cityということからもわかるように、五大湖周辺は(特に冬場の)風が強いことでも有名である。また、湖の影響で大気の湿度が増し、とりわけ風下にあたる東岸のミシガン州・オンタリオ州・ニューヨーク州ではブリザードが吹き荒れ、大量の降雪が見られる。これはシベリア気団が日本海を通過する際に湿度を増し、日本の北陸地方に大雪を降らせるのに似ている。現在の五大湖の基礎は11〜12億年前にプレートが分離し大陸中央リフトが形成された時に出来たと推定される。その時のリフトバレー盆地が現在スペリオル湖となった。次に5.7億年前にセントローレンスリフトが形成され、現在のセントローレンス川に沿ってオンタリオ湖とエリー湖の基礎が出来た。現在の五大湖の形は1万年前に最後の氷河期が終わり、Laurentide氷床が後退して出来たもの。氷河は削った地形に大量の水を残した。五大湖の水位が違う原因は、氷河で圧縮された土地が氷河後退でリバウンド(隆起)した程度が様々であったためと考えられる。五大湖周辺は北アメリカ有数の工業地帯であり、湖岸には五大湖・セントローレンス水路の港湾都市が多数発達している。また、全般的に夏に冷涼であることから、避暑地・保養都市も点在する。以下に列挙するのはその中でも著名な都市である。
ナイアガラフォールズ市の経済は元々滝そのものの周り、あるいは少なくとも大量の落水によって生み出される電力に基盤があった。この安価で豊富なエネルギー源は工業地帯の急速な立ち上げの影の推進力であった。19世紀の終りごろ、イタリアやポーランドなどのヨーロッパ諸国から多くの移民が、この地域のオクシデンタルなどの会社に所有される化学、鉄鋼など製造業の工場で働くために移住してきた。ナイアガラフォールズ市の重要性は20世紀後半に幾つかの理由で減少した。おそらく最も影響の大きかったのは、腐敗した政府、アメリカの他の地域に比較してブルーカラー労働者の高賃金、組合の強さおよび高い税金であった。以前はナイアガラフォールズで安価に生産された製品が他のどこでももっと安く生産されている。もう一つの大きな理由は当時の国家的現象であった郊外への移動であった。市内には最高時に10万人以上の人口があったが、工場が閉鎖され人々が雇用機会を求めて南部や西部に移住するにつれて、人口がほぼ半分になった。しかし、ナイアガラフォールズ市とナイアガラ郡の残りの地域にとって新たな経済繁栄の時代がゆっくりと訪れている。地域や州の政府はナイアガラ地域が元々持っている物理的および文化的な利点を生かそうとし始めた。すなわち、ナイアガラ渓谷、急成長するワインの道、歴史的景観、そしてもちろんナイアガラの滝そのものである。町の過去の産業から離れてより持続可能な観光業に基づく経済に移行することは、近年、市を生き返らせつつある。2001年遅く、ニューヨーク州は、州の経済開発機関であるUSA Niagara Development Corporationを立ち上げ、特にナイアガアフォールズ市中心街の開発促進に焦点を当てている。
アメリカ西海岸では、18世紀後半から、入植してきたスペイン人の宣教師によってインディアンのキリスト教徒化が進められ、『ミッション・インディアン』と名づけられて支配され、白人の農場や牧場の下働きや、他のインディアン部族の監督に使役された。漁猟民が多く、鮭や鯨の豊漁を祈る儀式が多い。踊りは伝統住居の「ラウンド・ハウス」内で行われるものが多い。ラコタ・スー族の『ワカン・タンカ』(Wakan Tanka)のような『偉大なる精霊』を信仰する精霊崇拝が基本である。バッファロー・ダンスやベアー・ダンスで毛皮を被るが、踊りには仮面は使わない。「白いバッファロー」は大精霊の使いであると考える。
滝の高さはあまりないが幅が広く、単独で流れる滝の水量では北米で最も規模が大きい[1]。最大毎分168、000m?、平均毎分110、000m?の水量が流れている[2]。ナイアガラの滝は以下、3つの滝から構成されている。水量は春から初夏のピークシーズンでおよそ毎秒5、720 m?になる。夏は毎秒2、832 m?で、90%はカナダ滝に流れ込むが、水力発電施設に一部、人工的に流されている。カナダ滝の上流には可動堰が設けられており、夜間の水量は日中の半分に調節されている。観光のオフシーズンになる冬の期間も水量が毎秒1、416m?に抑えられている[3]。