この戦争の結果として、戦争中にイギリス商品の輸入がストップしたため、アメリカの経済的な自立が促され、アメリカ国内で多くの産業、工業が発展した。このため米英戦争は、政治的な独立を果たした「独立戦争」に対して、経済的な独立を果たしたという意味で「第二次独立戦争」とも呼ばれている。この戦争のさなか、アメリカ合衆国の国歌「星条旗」(英:The Star-Spangled Banner、星の煌く旗)が生まれている。歌詞は、1814年当時35歳であった詩人・弁護士のフランシス・スコット・キー(上述)による。キーは、「マックヘンリー要塞の戦い」において、捕虜として捕えられた友人の釈放交渉のためイギリス軍艦に乗り込んだ。英国側の司令官は、最終的にはキーもその友人も解放することに同意したが、英軍の機密保持のため、イギリス艦隊がマクヘンリー砦を砲撃する間、2人は軍艦内に抑留されることとなった。激しい夜間砲撃の後、夜明けを迎えたキーらは、停戦後も砦の上にひるがえる星条旗を目にする。キーは自らの体験をすぐさま「マックヘンリー要塞の防衛」という詩にあらわした。これが、「天国のアナクレオンへ」という当時アメリカで人気のあったイギリスの俗謡のメロディに合わせて歌われるようになったのがアメリカ国歌のはじまりである。
しかし1795年、パリにおいて王党派の蜂起(ヴァンデミエールの反乱)が起こり、これに手を焼いた国民公会軍司令官ポール・バラスによってナポレオンは軍に再び登用され、首都の市街地で大砲(しかも広範囲に被害が及ぶ散弾)を撃つという大胆な戦法をとり鎮圧に成功。これによってナポレオンは中将に昇進、国内軍司令官の役職を手に入れ、「ヴァンデミエール将軍」の異名をとった。1796年には、デジレ・クラリーとの婚約を反故にして、貴族の未亡人でバラスの愛人でもあったジョゼフィーヌ・ド・ボアルネと結婚。同年、総裁政府の総裁となっていたバラスによってナポレオンはイタリア方面軍の司令官に抜擢された。フランス革命へのオーストリアの干渉に端を発したフランス革命戦争が欧州各国をまきこんでいく中、総裁政府はドイツ側の二方面とイタリア側の一方面をもってオーストリアを包囲攻略する作戦を企図しており、ナポレオンはこの内のイタリア側からの軍を任されたのである。ドイツ側からの軍がオーストリア軍の抵抗に頓挫したのに対して、ナポレオン軍は連戦連勝[3]。 1797年4月にはウィーンへと迫り、同年4月にはナポレオンは総裁政府に断ることなく講和交渉に入った。そして10月にはオーストリアとカンポ・フォルミオ条約を結んだ。これによって第一次対仏大同盟は崩壊、フランスはイタリア北部に広大な領土を獲得して、いくつもの衛星国を建設し、膨大な戦利品を得た。このイタリア遠征をフランス革命戦争からナポレオン戦争への転換点とみる見方もある。フランスへの帰国途中、ナポレオンはラシュタット会議に儀礼的に参加。12月、パリへと帰還したフランスの英雄ナポレオンは熱狂的な歓迎をもって迎えられた。
イエズス会は近代においてプロテスタント側のみならずカトリック側の人間からもさまざまな陰謀の首謀者と目されることが多かった。「イエズス会員」を表す言葉(たとえば英語のJesuit)がしばしば「陰謀好きな人、ずる賢い人」という意味でも用いられるのはその名残である。イエズス会は「より大いなる善」のためならどんなことでもするというイメージをもたれており、そのため教皇や各国元首暗殺、戦争、政府の転覆などあらゆる「陰謀」の犯人とされた。さらにイエズス会の組織の強力さとその影響力の大きさのゆえに教皇とバチカンを陰から操っているのは実はイエズス会総長であるといううわさがまことしやかに吹聴されてきた。フィクションの中でも陰謀の枢軸としてのイエズス会がしばしば強調される。デュマの『ダルタニャン物語』では、イエズス会の管区長となるためには世界を揺るがすほどの秘密を持っていなければならないとされ、フランス王ルイ14世に瓜二つの双子の弟がいるという重大な秘密を握っていた三銃士のひとりアラミスが管区長となる。管区長アラミスは、その秘密を用いてフランス王を双子の弟と取り換え、自らの傀儡にしようとするのである。イエズス会が陰謀の首謀者とされている代表例の一つと言えよう。現代においてもイエズス会員について「過度に進歩的であり、特定の話題において教会の公式な教説に反することを説くことがある」と批判されることがある。たとえば中絶手術、司祭の独身性、同性愛、解放の神学などの話題がそれにあたる。
国内や海外の映画制作とテレビ制作は地元の大きな産業のひとつとなっており、トロントで撮影されたシーンが多くの映画で見ることができる。トロント国際映画祭は世界の映画産業界においても重要な年間行事のひとつとなっている。イギリスの映画製作会社パインウッド・スタジオがトロント西部に新しい複合型の映画スタジオを建設しており、2008年の秋に一部完成しオープンする予定。カリバナは7月中旬から8月上旬に毎年行われる夏の行事で、北米でも規模の大きいストリート・フェスティバルのひとつ。トリニダード・カーニバルがベースになっており、最初のカリバナは1967年に開催された。その後、40年経ち、パレードにはトロントの湖岸に毎年100万人もの人々を惹きつけるほどに成長し、観光客も多く訪れる。そして、毎年このイベントではおよそ3億カナダドルもの経済効果をもたらしている。トロントの最も有名な観光地はCNタワーで、1976年以来、世界で最も高い地上建築物として知られていたが、ワルシャワラジオ塔、ブルジュ・ハリファなどに抜かれた。