1805年10月、ネルソン率いるイギリス海軍の前にトラファルガーの海戦にて完敗。イギリス上陸作戦は失敗に終わる。もっともナポレオンはこの敗戦の報を握り潰し、この敗戦の重要性は、英仏ともに戦後になってようやく理解されることになったという。海ではイギリスに敗れたフランス軍だが、陸上では10月のウルムの戦いでオーストリア軍を破り、ウィーンを占領した。オーストリアのフランツ1世の軍は北に逃れ、その救援に来たロシアのアレクサンドル1世の軍と合流。フランス軍とオーストリア・ロシア軍は、奇しくもナポレオン1世の即位一周年の12月2日にアウステルリッツ郊外のプラツェン高地で激突。このアウステルリッツの戦いは三人の皇帝が一つの戦場に会したことから三帝会戦とも呼ばれる。ここはナポレオンの巧妙な作戦で完勝し、12月にフランスとオーストリアの間でプレスブルク条約が結ばれ、フランスへの多額の賠償金支払いと領土の割譲等が取り決められ、第三次対仏大同盟は崩壊した。イギリス首相ウィリアム・ピット(小ピット)は、この敗戦に衝撃を受け、翌年に没した。ちなみに凱旋門はアウステルリッツの戦いでの勝利を祝してナポレオン1世が1806年に建築を命じたものである。戦場から逃れたアレクサンドル1世はイギリス・プロイセンと手を組み、1806年10月にはプロイセンが中心となって第四次対仏大同盟を結成した。これに対しナポレオンは、10月のイエナの戦い・アウエルシュタットの戦いでプロイセン軍に大勝してベルリンを占領し、プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は東プロイセンへと逃亡する。こうしてロシア・イギリス・スウェーデン・オスマン帝国以外のヨーロッパ中央をほぼ制圧したナポレオンは兄ジョゼフをナポリ王、弟ルイをオランダ王に就け、西南ドイツ一帯をライン同盟としてこれを保護国化することで以後のドイツにおいても強い影響力を持った。これらのことにより、長い歴史を誇ってきた神聖ローマ帝国は事実上解体された。
となる。P0 のエネルギーは水車に作用し、水車出力 Pw が取り出され、最終的には発電機出力電力 P となる。これは水車効率 ηw と、発電機効率 ηg を乗じたものである。水車効率と発電機効率の積 η を、総合効率(そうごうこうりつ)という。ηは水車発電機の種類や構造や経年によって変化するが、一般的にかなり高く、近似的に次式が成立する。水力発電所の出力には、以下の三種類がある。
公園を歌いながら散歩しつつ思考しており、なにか閃いたらしく蜻蛉返りをした、と当時の目撃者が記録している。友人で作家のマーク・トウェインは彼を「稲妻博士」と呼んでいる。「アメリカSFの父」と呼ばれるヒューゴー・ガーンズバックも友人であり、テスラ死後にそのデスマスクを製作させている。なお科学技術の発展に著しい貢献をしたとして、母国セルビアの紙幣ディナールの肖像として使われている。
ザンベジ川の魚は上流に89種、下流には39種生息しており、滝によって生活圏が分断されていることが分かる。特に多く見られるのはギンダラ(black cod)とマス(slippery trout)である。ザンビアとジンバブエともに観光にしのぎを削っている。観光客が簡単に行き来できるようにするため、ヴィクトリアフォールズの国境では、どちらの国も比較的簡単な手続きでビザを発給している。ビザはその場で発給され、事前に取得しておく必要は無い。ただしビザは有料で、とくにジンバブエのビザは高額なことで知られる。なお、出国してから相手国に入国せずに戻ってくるだけであればビザは不要なので、単にヴィクトリアフォールズ橋まで行って戻るだけであれば料金はかからない。ザンベジ川がザンビアとジンバブエの国境になっていることから、その途中にあるヴィクトリアの滝にはどちらの国からも訪れることができる。どちらの国にも滝を取り囲むように有料の自然公園が整備されている。公園は高い柵で囲まれており、公園に入らなければ滝に近づくことができない。いずれも遊歩道や展望台を備えているが、遊歩道には柵の無いところが多いため、断崖の先端まで行くことも可能である。