フレンチ・インディアン戦争やアメリカ独立戦争など、ヨーロッパ諸国がインディアンの諸部族を戦力とみなして同盟を結んだために植民地をめぐる争いに巻き込まれた例も多い(インディアン戦争)。部族の利害を十分考慮した上で参戦したとしても、結果として敗者の側につくことになった部族の運命は過酷であった。白人社会の大規模農園開拓で土地や水源を奪われたり、バッファローなどの自然資源を巡って度々対立した記録が残されている。インディアンを殲滅する目的で、白人が病原菌の付着した毛布などを贈って故意に伝染病に感染させようとした事実が歴史に記録されている。ヨーロッパ人がアメリカ大陸にやってくるようになった頃、1890年12月ウンデッド・ニーの虐殺により、白人によるインディアン戦争は終結した。最終的には推定1000万人いたインディアンは白人の直接・間接虐殺により実に95%が死に絶えた。
かつて世界で最も高い建物であったCNタワーは、トロントの遠景を象徴する建築物になっている。文化面でも国際的に重要な役割を果たしており、世界クラスの博物館や美術館、劇場、フェスティバルなどが多くある。カナダに入ってきた移民を多く受け入れていることを反映して、トロントは多文化的かつ人口構成も国際色豊かである。犯罪発生率は低く、街は清潔で、人々の生活水準も高いため、世界で住みやすい都市の一つとして各種機関によって毎年の様にランクされている [5][6]。その反面、2006年、トロントはカナダ国内で最も生活費が高い都市にランクされた[7]。2007年にイギリスの経済雑誌によってトロントはシカゴに次いで北米内で2番目に将来性のある大都市として評価された[8][9]。2008年には、グローバリゼーションと世界都市の研究グループおよびネットワーク(GaWC)により、ソウルやマドリードなどと同クラスの第1級世界都市に選ばれている[10]。また、トロントに住む人々は「トロントニアン(Torontonian)」と呼ばれる。ただし狭義ではトロントで生まれ育った人々のみを指す。
ヨーロッパからの移民がやってくるまでは、この地域はアルゴンキン族、オジブワ族、クリー族(Cree)含む)、およびイロコワ族(ヒューロン族(Huron)含む)が住んでいた。17世紀初頭よりヨーロッパの探検家がやって来て、イギリス人はハドソン湾岸、フランス人は主に五大湖周辺に植民を開始した。1763年に締結した七年戦争の講和条約「パリ条約」により、北米のフランス領土(ヌーベル・フランス)はほとんどすべてイギリスに譲渡することになった。1774年にはオンタリオも英領ケベックとして併合。その後1783年から1796年の間、アメリカ独立戦争を受けて、イギリスは本国政府に従順で、独立13州を離れオンタリオ地区へ流入する市民を援助した。この期間にオタワ川以西の地域の人口が増加。1791年に旧ケベックがオタワ川を挟んで東側の「ローワー・カナダ」(Lower Canada、現在のケベック州)と西側「アッパーカナダ」(Upper Canada、現在のオンタリオ州)の2地域に分割統治されることになった。
詳細はカナダの文化 (Culture of Canada) を参照日本で人気のある『赤毛のアン』の作者L・M・モンゴメリはカナダの文学者である。またサイバーパンクSFの雄であるウィリアム・ギブソンはアメリカ合衆国出身だが、徴兵拒否のためにカナダに移住したため、「カナダの作家」として扱われることがある。また、マーガレット・アトウッドもカナダの作家である。独創的なバッハ解釈で名高いグレン・グールドはトロント生まれである。また、モントリオール交響楽団はシャルル・デュトワが指揮者を務めている間に実力を高め、北米大陸屈指のオーケストラとして知られるようになった。