北東部、北西海岸部の部族は伝統的に鮭を燻製にして一年分の主食とする。しかし、保留地へのダム建設や漁猟権の剥奪などで、サケ漁の現状は年々厳しくなっている。北東部では、近年になってようやく鮭の伝統漁復活が認められた部族もある。1960年代のレッドパワー運動で、真っ先に行われた大規模な抗議行動は、サケ漁の権利をめぐって抗議するために連邦法や州法を破って漁をする「フィッシュ・イン」運動だった。先住民文化によく見られることであるが、インディアンも全部族が毛髪を霊力の源と考え、神聖なものとして非常に大事にすることで知られる。また、ヨーロッパ人の祖先もかつて行ってきたことであるが[2]、共通の髪型をすることで部族の帰属を示す手段としている昔の写真に見られるインディアンの毛髪は非常に美しく長い。これに習い、ハリウッド映画などでは登場するインディアンの老人も毛髪豊かな人物として描かれている。しかし、前述の平原部族の三つ編み方式を知らなかったために、ヘアバンドをつけ、鷲の羽根を立てて描いたものが非常に多い。同化政策の一環として後述のインディアン寄宿学校に送られた男女児童は、入学と同時に頭髪を短く刈られた。都市に住むシティ・インディアンの間では、白人文化に同化して短髪が多いものの、近年は長髪が復活してきている。アメリカインディアン運動(AIM)が創設されたとき、インディアンの若者達はまず、インディアンのアイディンティティーを取り戻すために髪の毛を伸ばし始めた。これはヒッピー文化にも影響を与えた。
大陸封鎖令を出されたことでイギリスの物産を受け取れなくなった欧州諸国は経済的に困窮し、しかも世界の工場と呼ばれたイギリスの代わりを重農主義のフランスが務めるのは無理があったので、フランス産業も苦境に陥った。1810年にはロシアが大陸封鎖令を破ってイギリスとの貿易を再開。これに対しナポレオンは封鎖令の継続を求めたが、ロシアはこれを拒否。そして1812年、ナポレオンはロシア遠征を決行する(ロシア側では祖国戦争と呼ばれる)。フランスは同盟諸国から徴兵した60万という大軍でロシアに侵入したが、兵站を軽視したため、広大な国土を活用したロシア軍による徹底した焦土戦術によって苦しめられ、飢えと寒さで次々と脱落者を出した。さらにモスクワをも大火で焦土とされたため、ナポレオン軍は総退却となった。冬将軍と呼ばれるロシアの厳しい気象条件も重なり、数十万のフランス兵が失われ、無事に本国まで帰還してこられたものはわずか5千であったという。それに加え、パリではクーデター未遂が起こされた(首謀者マレー将軍は後に銃殺)。ナポレオンはクーデターの報を聞き、撤退する軍よりも早く帰国する。この途上でナポレオンは、大陸軍の惨状を嘆き、百年前の大北方戦争を思い巡らせ、「余はスウェーデン王カール12世のようにはなりたくない」と洩らしたという[11]。この大敗を見た各国は一斉に反ナポレオンの行動を取る。初めに動いたのがプロイセンであり、諸国に呼びかけて第六次対仏大同盟を結成する。この同盟には元フランス陸軍将軍でありナポレオンの意向によってスウェーデン王太子についていたカール14世ヨハンのスウェーデンも参加していた。ロシア遠征で数十万の兵を失った後に強制的に徴兵された、新米で訓練不足のフランス若年兵たちは「マリー・ルイーズ兵」と陰口を叩かれた。1813年春、それでもナポレオンはプロイセン・オーストリア・ロシア・スウェーデン等の同盟軍と、リュッツェンの戦い・バウツェンの戦いに勝って休戦にもちこむ。メッテルニヒとの和平交渉が不調に終わった後、秋のライプツィヒの戦いではナポレオン軍は対仏同盟軍に包囲されて大敗し、フランスへ逃げ帰った。
三つあるナイアガラの滝の中でカナダ滝が最も大きく、ナイアガラ川の流れる水量の90%がカナダ滝に流れており、残りの10%がアメリカ滝側に流れている。カナダ滝はその水量から大きな水煙が上がるため、滝の景観を遮ることもしばしばある。20世紀初頭から水力発電に水源が分けられたため、水煙の量は減る傾向にあったが、近年、水煙の量が再び増え始めている。一説には高層ホテルが滝沿岸に建ち並んだことにより風向きが変わったとされる説や、温暖化による水温の上昇で蒸発量が増えているのではないかと言われている[1][2]。カナダ滝はカナダ側から正面(全景)を見ることができ、アメリカ側からは横からの眺めになる。観光船霧の乙女号は、このカナダ滝の滝壺近くまでを遊覧する。アメリカ滝は、ナイアガラ川の10%にあたる水量が流れており、残りの90%はゴート島によって分かれているカナダ滝側に流れる。滝の幅は260m(850ft)、高さは滝の上から降り積もった岩石までの高さで21〜34m(70〜110ft)ある。滝から川までの高さは57m(188ft)。
英語ではAtlantic Oceanと表記される。この名称は、アトラス山脈のそばにある海という意味であり、さらにその名は、ギリシア神話の神アトラスに由来する。日本語の「大西洋」の由来は諸説あるが、「泰西」に基づくという説が有力。泰西は元々ヨーロッパを指す中国語。日本においても、戦国時代等の諸文献にその名を見ることができる。「泰」は「大」と同系の語であり、このことから「泰西洋」→「大西洋」となったといわれている。