観光船の名前はローマ数字が霧の乙女号の名の後ろに付けられている。現在の保有数は4隻。霧の乙女号が撮影されている主な映画。8か国語に堪能で、詩作、音楽、哲学にも精通していた。
世界で最初に水力発電が行われたのは、1888年のアメリカコロラド州のアスペン鉱山の自家用発電所である。日本では、明治23年(1890年)に足尾銅山と下野麻紡績会社で自家用水力発電が設けられたのが最初で、世界では2番目である。翌明治24年(1891年)に琵琶湖疏水の落差を利用した蹴上水力発電所が世界で3番目に設けられた。これは、一般営業用としては世界最初の施設である。この電力は京都市内に供給され、明治28年(1895年)に、日本最初の路面電車である京都電気鉄道(後に京都市電が買収)が走るようになった。当時は産業が十分に発達していなかったので、電力を自家用として用いるほかは、公共用に電灯と電車の動力として小規模に利用されるだけであった。水力発電が世界中に広がっていくのは、この後まもなくドイツで高圧の遠距離送電の技術が確立されてからである。流水は位置エネルギー・運動エネルギー・圧力エネルギーを持っている。流水の持つこれらのエネルギーを水力(すいりょく)という。流水を作用させる点を基準点とすると、高さ h (m) にある質量 m (kg) の水は、mgh (J) の位置エネルギーを有している。
水量は春から初夏のピークシーズンでおよそ毎秒5、720 m?になる。夏は毎秒2、832 m?で、90%はカナダ滝に流れ込むが、水力発電施設に一部、人工的に流されている。カナダ滝の上流には可動堰が設けられており、夜間の水量は日中の半分に調節されている。観光のオフシーズンになる冬の期間も水量が毎秒1、416m?に抑えられている[3]。アメリカ側からの眺望はほとんどが滝の背後に位置し、滝の正面や全体を眺望できるのはカナダ側になる。滝の発祥地点は、現在よりも約10km下流にあたるオンタリオ州側のクイーンストンやニューヨーク州側のルイストンの付近に位置する。浸食により年間1m以上ずつ後退し続け、ゴート島により二つに分岐し現在の姿となる。浸食が続けばエリー湖に埋没してしまうため、一世紀にかけて技術者の手により人工的に浸食が抑えられてきた。今もなお浸食のスピードは年間3cm程度に抑えられている。 2万5千年後には消滅するという。
1814年3月、アンドリュー・ジャクソンはテネシー州民兵、チェロキー族戦士およびアメリカ陸軍正規兵を率いて南部に向かい、クリーク族酋長メナワに率いられるインディアンと戦った。3月26日、ジャクソンとジョン・カフィー将軍はホースシュー・ベンドの戦いでクリーク族を打ち破り、クリーク族1、000名の中800名を殺したのに対し、約2、000名のアメリカ軍・チェロキー族連合軍は40名の戦死と154名の負傷に留まった。ジャクソン軍は生き残ったクリーク族を追跡し降伏に追い込んだ。インディアンはイギリス側に付き、イギリスも支援していたので、多くの歴史家がクリーク戦争を米英戦争の一部と見なしている。イギリス軍は9月のニューヨーク州とメリーランド州での攻勢でも捗捗しい戦果を上げられずにいたので、視点を南に向けて10、000名以上の部隊を載せた艦隊をメキシコ湾に派遣した。ジャクソンは更に西に動いて、1814年の暮れからのイギリス軍の侵攻に備えた。互いに決定打を欠いたまま戦争が長引くと、米英共に経済的にも軍事的にも疲弊し、講和の動きが出始めた。1814年12月26日、ベルギーにてガン条約が結ばれて米英は講和、米英戦争は終結した。