また、狩猟と交易を生業とした平原インディアンにとって「土地」は「不動産」ではなく、誰のものでもなかった。彼らは獲物を追って常に移動するものであり、ある部族をある土地から追い出したとしても、それは恒久的なものではなく、また和平を結べば共有できるものだった。白人が彼らを一区画に閉じ込め、移動を禁じるという「保留地」の考えは、平原インディアンにとってまったく理解できないものだった。血生臭いイメージでしばしば語られる平原インディアンの「部族間戦争」だが、実際にはほとんどの場合、馬をめぐっての小競り合いであり、その中で彼らが最も栄誉としたものは、「クー・スティック」と呼ばれる「?」形をした杖で、相手部族員を何回「叩く(フランス語でcoup=クー)」か、だった。こういった「スポーツとしての戦」は、ニューギニアやアフリカの原住民が今もレクリエーションとして行っているものである。見事「クー」を重ねたものは部族で祝福を受け、その数ごとに鷲の羽根を追加した見事な「羽根冠」となって、偉大な戦士を飾ったのである。現在では、「クー」に代わって部族に対する貢献が冠を飾る羽根となっている。男子が装う羽根冠や化粧は、本来儀式での正装であって、天上の大精霊にしっかりと自分を見知ってもらうためのものであり、戦いのためのものではない。羽根冠や化粧を白人が「ウォー・ボンネット」とか「ウォー・ペイント」と呼ぶのは誤りである。
すべての乗客には霧の乙女号の青いポンチョが配られる。1846年に霧の乙女号はカナダ側とアメリカ側とを結ぶフェリー船として運航を開始した。しかし、1848年、下流にワールプール・ラピッド・ブリッジができたことにより乗客を失い、1854年に、観光客向けの遊覧船として再スタートを切る。財政難と南北戦争のため、1860年に船はモントリオールの会社に売却され、公式には1893年までサービスが続けられることはなかった。1893年に新しい船が二隻が建造され、霧の乙女号蒸気船会社「Maid of the Mist Steamboat Company」の名のもと、新しいパートナーシップが結ばれた。この船は川の下流で運航していたが、1955年4月22日に事故が起きたことで、現在見られるタイプの船へと置き換えられた。
フランスの民衆はナポレオンの到着を、歓喜をもって迎えた。11月、ナポレオンはブルジョワジーの意向をうけたエマニュエル=ジョゼフ・シエイエスらとブリュメールのクーデターを起こし、統領政府を樹立し自ら第一統領(第一執政)となり、実質的に独裁権を握った。もしこのクーデターが失敗すれば、ナポレオンはエジプトからの敵前逃亡罪及び国家反逆罪で銃殺刑を免れ得ないところであった。統領政府の第一統領(第一執政)となり、政権の座に着いたナポレオンであるが内外に問題は山積していた。第二次対仏大同盟に包囲されたフランスの窮状を打破することが急務であった。まずイタリアの再獲得を目指し、ナポレオンは当時の常識ならば軍は地中海側のルートをとるしかないと思われていたところにアルプス山脈を越えて北イタリアに入る奇策をとった。しかし兵の配置の失敗もありオーストリアの大軍の前に大敗寸前まで追い込まれたが、別働隊の到着で1800年6月のマレンゴの戦いにおいてオーストリア軍に辛くも勝利した。別働隊の指揮官でありナポレオンの親友であったドゼーはこの戦闘で亡くなった。12月には、ドイツ方面のホーエンリンデンの戦いでモロー将軍の率いるフランス軍がオーストリア軍に大勝した。翌年2月にオーストリアは和約に応じて(リュネヴィルの和約)、ライン川の左岸をフランスに割譲し、北イタリアなどをフランスの保護国とした。この和約をもって第二次対仏大同盟は崩壊し、フランスとなおも交戦するのはイギリスのみとなったが、イギリス国内の対仏強硬派の失脚や宗教・労働運動の問題、そしてナポレオン率いるフランスとしても国内統治の安定に力を注ぐ必要を感じていたことなどにより、1802年3月にはアミアンの和約で講和が成立した。
ザンベジ川流域は11月末から4月初めまでが雨季、それ以外の時期が乾季であり、それに2ヶ月ほど遅れて滝の水量が増減する。4月と11月では水量に10倍もの違いがある。これは著名な滝の中で最も極端な増減であり、最大水量に対して年間平均水量が少ないことの理由となっている。滝の水量が多くなるのは4月をピークとして2月から5月までで、噴煙は高さ400m、ときには800mまで立ち昇り、50km離れたところからでも見ることができる[2]。満月の夜には月明かりで虹が見えることがある。 反面、この時期は滝の見物には必ずしも向いていない。噴煙が多すぎて滝壺はおろか滝本体を見ることも困難であり、滝の正面にある遊歩道には噴煙がシャワーのように降り注ぐ。崖の淵まで行くと、立ち昇ってきた噴煙によって「下から上に雨が降ってくる」ような状態となり、とくにザンビア側にある Knife-Edge Bridge ではっきりと体感できる。滝の水量が少なくなるのは11月をピークとして9月から1月までである。この時期は滝全体を見渡すことができ、滝壺まで見ることができるが、滝の迫力という点では増水期に劣る。滝の淵にある小島が大きくなり、数も増えてくる。噴煙が少ないため島の地表が乾き、ザンビア側からは滝の淵にできた小島に徒歩で渡ることができるようになる。また、滝壺に降りることができるのもこの時期である。