1863年、リーは再度の北部侵攻に出たが、ゲティスバーグの戦い(7月1日 - 7月3日)の末、再び後退を強いられた。この戦いにおける戦没者のための国立墓地献納式典においてリンカーン大統領が行ったのが、ゲティスバーグ演説として知られる有名な演説である。西部戦線では北軍が優勢に戦いを進めた。北軍はミシシッピ川沿いに南下し、1862年5月18日には南部最大の都市ニューオーリンズを陥落させた。南軍のケンタッキー州侵攻作戦はペリービルの戦い(10月8日)とストーンズリバーの戦い(12月31日 - 1863年1月2日)によって失敗した。西部戦線で重要な役割を果たしたのがテネシー軍を率いた北軍のユリシーズ・グラントであった。グラントはヴィックスバーグの戦い(5月18日 - 7月4日)で同要塞を攻略してミシシッピ川の支配権を確保し、チャタヌーガの戦い(11月23日 - 25日)の勝利で南部の中心地帯への侵攻路を開いた。
しかし冷静に判断すれば、彼は純粋なただの科学者である。その研究テーマが風変わりであることが多々あり、社会とうまくやっていく能力にほんの少々欠けており、生涯でいくつかの競争に敗北しただけである。容貌は長身でとてもハンサムであり、モルガンの令嬢などとのいくつかの恋もあったが、うまくはいかなかった。モルガンが資金援助を打ち切ったのも、娘との関係があるとも言われている。結果的には生涯独身であった。公園を歌いながら散歩しつつ思考しており、なにか閃いたらしく蜻蛉返りをした、と当時の目撃者が記録している。
トロントとグレータートロント(GTA)を走る高速道路は数多くあり、ハイウェイ401号線(Highway 401)は市内中心部のバイパスとして東西を横断している。北米で最も交通量の多い高速道路のひとつで、ハイウェイ401号線と400号線/ブラッククリーク・ドライブのインターチェンジでは最大22車線に広がり、毎日50万台以上の交通量がある。トロントは1996年、2008年の夏季オリンピック開催都市に2度立候補しているが、2度とも最終選考まで残りながら、僅差で落選した経緯がある。トロントは以下の都市と「国際パートナー」関係を締結している。
近年、「インディアン」という呼称について、白人側から「差別を助長するのではないか」という理由から、「ネイティブ・アメリカン」(Native American)と呼び替える動きが進んでいるが、この単語は本来、アメリカ合衆国内の先住民全般、つまり「インディアン」、「サモア人」、「ミクロネシア人」、「アレウト」、「ハワイ人」、「エスキモー」全てを表す「総称」であり、固有の民族名ではない。インディアン管理局(BIA)の公式な質疑応答テキストには、こう記してある。「この“ネイティブ・アメリカン”という用語は、1960年代にBIAが、そのサービス対象グループに対して使用し始めたもので、当初はインディアンとアラスカ先住民(アラスカ・インディアン、エスキモー、アレウト)を指していた。のちに、連邦の枠組みに入るハワイ先住民と太平洋諸島民などを含むようになった。しかし、それはかなりのインディアン・グループから不評を得ている。優先使用語は“アメリカ・インディアン”である。」そもそも「ネイティブ・アメリカン」という呼称は、BIAの意向を受けて「インド人(Indian)」を祖先に持つ「インド系アメリカ人(Indian American)」と区別するために、人類学者が作った造語である。この「ネイティブ・アメリカン」とする場合の表記は、一般的には先頭に「大文字の「N」が使用される。