どちらにしろ、「インディアン」も「ネイティブ・アメリカン」も、そう呼ばれている人々自身が選んだ呼び名ではない。どちらの呼び名にするか議論している主体は、そう呼ばれている人々を取り巻いている人たちである。一括りに呼ばれることも多いこれらの人々ではあるが、実際には多くの部族が存在し、また部族に固有の文化形態や社会様式を持つことから、さまざまな時期にさまざまな経路を通って段階的に渡来した人々の末裔であると考えられている。ただ、このことを強調し、「インディアンも白人と同じように、北米大陸の外から来たんじゃないか」として、白人に土地収奪正当化の言質を取られることが多く、「先住民」としての伝承文化、独自性を台無しにされるとして一般的にこの話題はインディアンには嫌われている。上記の「ファースト・ネイション」の「ファースト」には、これを踏まえた「最初からいた人たち」という強い意味を含んでいる。
バッファローはエリー湖の東端に位置している。北緯42度54分17秒、西経78度50分58秒 (42.904657、 -78.849405)1に位置し、帯広市や釧路市(ともに北海道)とほぼ同緯度にある。同市はアメリカ合衆国内の他の主要都市よりカナダのトロント市に地理的に近い。同市はカナダ・オンタリオ州フォートエリー市の反対側にあたる。アメリカ合衆国統計局によると、バッファロー市は総面積136.0 km? (52.5 mi?) である。このうち105.2 km? (40.6 mi?) が陸地で30.8 km? (11.9 mi?) が水域である。総面積の22.66%が水域となっている。バッファローはナイアガラの電力を利用した工業が盛んである。とりわけ、20世紀初頭では鉄鋼都市として知られ、数カ所の製鉄所が煙を上げていた。また、製粉工業でも知られ、穀物倉庫が多い。その他、化学、電器・機械工業などがあるが、今日では地位が低下している。
カナダの州の中では最も人口が多く、国全体の人口の約3分の1がこの州に集まっており、カナダの政治経済の中心となっている。カナダ中東部に位置し、州都はカナダ最大の都市トロント。連邦政府の首都オタワもオンタリオ州に属する。ヨーロッパからの移民がやってくるまでは、この地域はアルゴンキン族、オジブワ族、クリー族(Cree)含む)、およびイロコワ族(ヒューロン族(Huron)含む)が住んでいた。17世紀初頭よりヨーロッパの探検家がやって来て、イギリス人はハドソン湾岸、フランス人は主に五大湖周辺に植民を開始した。1763年に締結した七年戦争の講和条約「パリ条約」により、北米のフランス領土(ヌーベル・フランス)はほとんどすべてイギリスに譲渡することになった。1774年にはオンタリオも英領ケベックとして併合。その後1783年から1796年の間、アメリカ独立戦争を受けて、イギリスは本国政府に従順で、独立13州を離れオンタリオ地区へ流入する市民を援助した。この期間にオタワ川以西の地域の人口が増加。
世界遺産はその内容によって以下の三種類に大別される[1]また、内容上の分類ではないが、後世に残すことが難しくなっているか、その強い懸念が存在する場合には、該当する物件は危機にさらされている世界遺産リスト(危機遺産リスト)に加えられ、別途保存や修復のための配慮がなされる事になっている[2]。1960年代、エジプトのナイル川流域にアスワン・ハイ・ダムを建設する計画が持ち上がった。このダムが完成した場合、ヌビア遺跡が水没することが懸念された。これを受けて、ユネスコが、ヌビア水没遺跡救済キャンペーンを開始。世界の60ヶ国の援助により、技術支援、考古学調査支援などが行われた。ヌビア遺跡内のアブ・シンベル神殿の移築が行われ、これがきっかけとなり、開発から歴史的価値のある遺跡、建築物、自然等を国際的な組織運営で守ろうという機運がうまれた。