ドイツでは11月9日に共和国の成立が宣言され、ドイツ帝国は終わりを迎えた。翌日ヴィルヘルム2世はオランダへ亡命した。11月11日にパリ郊外コンピエーニュの森に置かれた食堂車2419Dの車内において、ドイツは連合軍との休戦協定に署名し、11月11日午前11時に軍事行動は停止された[9]。公式には戦争はヴェルサイユ条約の締結により終わった。日本は日英同盟に基づいて連合国の一員として参戦し、陸軍はドイツが権益を持つ中華民国山東省の租借地青島を攻略、海軍は南洋諸島を攻略した他、1917年にはインド洋と地中海で連合国側商船の護衛と救助活動を行い、多くの犠牲者も出した。またロシア革命後の1919年に他の大国とともにシベリア出兵を実施した。これらの数多くの実績により、大日本帝国も連合国の5大国の一国としてパリ講和会議に参加し、パラオやマーシャル諸島などの、それまでドイツが支配下に置いていた赤道以北の太平洋上の南洋群島を信託統治領として譲り受けるとともに、国際連盟の常任理事国となった。
五大湖とそれを互いに接続し、あるいは大西洋へとつなぐ五大湖水路・セントローレンス海路はミシシッピ川と並び、北アメリカの重要な水路のひとつである。他にもいくつかの運河が五大湖から各地域へと通じている。中でも代表的なのは、1825年に建設されたエリー運河と1848年に完成したイリノイ・ミシガン運河である。前者はエリー湖とハドソン川を結び、この運河を経由することで、五大湖周辺とニューヨークが船で行き来できることになる。後者はシカゴからミシシッピ川へと通じ、セントルイス・メンフィス・ニューオーリンズなどミシシッピ川岸の主要都市へと船を進めることができる。五大湖は周辺の州の水道水源ともなっている。周辺の州政府は共同でこの貴重な水資源を管理している。また、周辺の地域は鉄鉱石・石炭・石灰石といった天然資源も豊富である。このように、早くから水路交通を開拓し、また豊富な水資源や天然資源を有することで、五大湖周辺、特にアメリカ合衆国側には工業都市が発達し、北アメリカ有数の工業地帯へと成長した。ダルースで積みこまれた鉄鉱石は下流のゲーリーやクリーブランドへと運ばれ、鉄鋼産業の成長を促した。デトロイトには自動車産業が発達した。1950年代に至るまで、「コーンベルト」・「フロストベルト」と呼ばれる周辺一帯は隆盛を極めた。しかし、現在では「サンベルト」と呼ばれる南部の新興工業地帯に人口・産業が流出し、デトロイトやゲーリー、バッファローなど犯罪・貧困・環境汚染といった都市問題を抱える工業都市も少なくない。
詳細はカナダの政治 (Politics of Canada) を参照政体は立憲君主制である。公式にはイギリス女王が国家元首(但しイギリス女王とは別人格扱い)となる。カナダでは「カナダ女王陛下」と呼ばれている[18]。ただし、形式的にはカナダ総督が女王の代理を務め、また実質的な首長は、総選挙により選出される連邦政府の首相である。政府は、議院内閣制を採用している。カナダは、歴史的に各州の合意により連邦が設立された経緯があることから、州に大幅な自治権が認められており、それぞれの州に首相、内閣及び議会がある。このためカナダにおける政治とは、州政府対連邦政府の駆け引きそのものということもできる。現行のカナダの憲法は1982年に施行されたため「1982年憲法」と呼ばれている。この憲法により、二言語多文化主義・ケベック州の特殊性・原住民居留地の特殊性などが認められている。
降り積もった岩石の調査のため、1969年の5月から11月まで水の流れを止め、滝が干上がったことがある。1969年12月に再び水の流れを戻し、1970年代中頃に、岩石の除去を行わず自然のまま手を加えないことが決められた経緯がある。高さは24m(78ft)から31m(103ft)あり、滝の上からナイアガラ川までの高さは55m(181ft)になる。標高は155m(508ft)。滝は過去にルナ滝またはイリス滝とも呼ばれた[1]。アトラクションで知られる風の洞窟からブライダルベール滝の真下まで歩いていける。