インディアンに対する年金支給などを目当てに、非インディアンがインディアンの身分を偽造し、成りすます例も多い。また、実際はイタリア移民だった著名なインディアン俳優アイアンアイズ・コディ(Iron Eyes Cody)酋長など、単純に憧れからの成りすましも多い。こういった偽インディアンの発言が、インディアン文化の理解を混乱させる例も多い。ニューヨーク州立大学バッファロー校のドナルド・A・グリンド博士(Donald A. Grinde Jr.)をはじめとする歴史学者らは、アメリカ合衆国の民主制度はイロコイ連邦の民主制度がモデルとなっていると主張している。ちなみに、インディアンの支持政党は、伝統的に民主党である。インディアンのほとんどは、文字を持たなかった。北東部部族は、ワムパム(色とりどりの貝のビーズ)を、ワムパム・ベルトという模様を暗号化した巻物にして、重大な決め事の記録(有名なものではイロコイ憲章)に使い、大切に保管している。時代が下ると、白人がこれを単に装飾品と捉えてメチャクチャな模様に織り込んで模造したものが出回った。結果、この偽物のワムパム・ベルトを正規物と勘違いした部族間で、ついには戦争にまで発展してしまった。
なお、取水する河川と放流する河川とは、必ずしも一致するわけではない。一般水力および揚水式の水力発電所のコスト(原価)は、火力や原子力発電所など他の発電所と同様に資本費・修繕費・人件費・諸税などからなる固定費(発電量に無関係なもの)と揚水動力費(揚水式の場合のみ)などからなる可変費(発電量に比例するもの)で構成されるが、事業者が複数の発電所を統括管理している実態から、必ずしも地点毎に算定されるわけではない。この内、資本費は上記諸設備の建設費と耐用年数と金利などにより定まり、全コストの大部を占める上、建設費が発電所毎の地点特性により大きく変動することから、歴史的に有利な地点から先に開発されている。一般水力発電所に関しては、既存事業者がコスト的に開発可能と判断する新規地点が枯渇しているとされるが、再生可能エネルギーとしての合理性が注目され、政策的助成を受けた新たな事業者により比較的小規模な水力発電所を設置する動きが見られる。
また、第二次世界大戦前後、ユダヤ人であるためナチスに迫害を受けた(アルベルト・アインシュタインなど)、また祖国が戦火で荒廃した(フォン・ブラウン等)などの理由でヨーロッパの科学者や技術者が多くアメリカに移住したため、戦後はアメリカがヨーロッパに取って代わり世界の先端的な科学技術や学問の中心になった面もある。アメリカの大衆・大量消費文化や、先端的な医療、軍事、航空宇宙、情報・通信(IT)などのテクノロジーは、保有する基礎科学・応用科学の力に支えられて実現しているものであり、現代の科学技術文明を牽引する主要な国家であることは特筆すべきことであろう。アメリカはメートル条約に加盟しているが、自然科学の分野以外ではヤード・ポンド法が広く用いられている。ヤード・ポンド法を現在も使用している国はリベリア、ミャンマーとアメリカだけである。ジェラルド・フォード政権下の1975年にメートル法移行法(Metric Conversion Act)が可決されたが、ロナルド・レーガン政権が発足すると移行政策は頓挫した。市販される商品のパッケージなどには、ヤード・ポンド法とメートル法の並記が普通に行われている。航空分野などのアメリカが強い力を持つ産業分野では、国際的にもヤード・ポンド法を用いて計量することが多い。
国名はセントローレンス川流域イロコイ族の「村落」を意味する語「カナタ」(kanata)に由来する。ジャック・カルティエがセントローレンス川流域をカナダと呼ぶようになり、その後地図上でもカナダと表記されるようになった。ファースト・ネーション(先住民)やイヌイットの言い伝えでは先住民たちは時の始まりからこの地に住んでいたとある。一方、考古学的研究では北部ユーコン準州に26、500年前、南部オンタリオ州には9、500年前に人類がいたことが示されている[5][6]。ヨーロッパ人の到来は西暦1000年にバイキングがランス・オ・メドーに居住したのが初めてであるが、この植民地は短期間で放棄されている。その後、1497年にイングランドのジョン・カボットが大西洋側を探検し[7]、1534年にはフランスのジャック・カルティエがこれに続いた[8]。1603年に到着したフランスの探検家サミュエル・ド・シャンプランは、1605年に初めてのヨーロッパ人定住地をポートロイヤルに築き、1608年にはケベック をつくっている。これらは後にそれぞれアカディアとカナダの首都となった。 ヌーベルフランスの植民地の中ではカナダ人(Canadiens:フランス系カナダ人)はセント・ローレンス川流域に、アカディア人は現在の沿岸諸州に集中的に居住している。フランス人の毛皮商人とカトリック宣教師たちは五大湖、ハドソン湾そしてミシシッピー川流域からルイジアナを探検した。毛皮貿易路の支配を巡ってフランスとイロコイ族の戦争が起こっている。