なお、ダム式水力発電の場合は、水路が短いので水槽やサージタンクは必要がない。水圧管路(すいあつかんろ)は、水槽から発電所までの水の通り道となる管路である。 水槽にためられた水は、これより発電所まで至る急斜面を水圧鉄管によって導かれる。 大変高い水圧が加わるため、鋼鉄など頑健な素材を用い、堅牢な構造とする。発電所の急激な出力変動によって、水圧鉄管は大きな圧力変動を受ける。 それを吸収し緩和する設備として、サージタンクや制圧機がある。 水撃作用の大きさによって、水圧鉄管が破裂、もしくはつぶれてしまわないように、十分な注意を払って設計・施工される。
水の力を動力として利用するという考えは、古代より続くものである。 流れる水の力を水車によって抽出し、得た動力で製粉・紡績などを行っていたとされている。電気がエネルギーとして利用され始めたころ、水車に発電機を結合した水力発電は発電の主力だった。 この時代は水主火従の時代(すいしゅかじゅうのじだい)と呼ばれている。やがて産業の発展により電力需要が伸びてくると、多くの大容量火力発電所が建設されるようになる。 いつしか火力発電が台頭し、火主水従の時代(かしゅすいじゅうのじだい)となった。 揚水発電所の建設も始まったが、この当時は豊水期に貯水し、渇水期はその水を繰り返し発電に利用することで年間を通じて発電を行うようにするという、年間調整が主だった役割であった。
アメリカの大衆・大量消費文化や、先端的な医療、軍事、航空宇宙、情報・通信(IT)などのテクノロジーは、保有する基礎科学・応用科学の力に支えられて実現しているものであり、現代の科学技術文明を牽引する主要な国家であることは特筆すべきことであろう。アメリカはメートル条約に加盟しているが、自然科学の分野以外ではヤード・ポンド法が広く用いられている。ヤード・ポンド法を現在も使用している国はリベリア、ミャンマーとアメリカだけである。ジェラルド・フォード政権下の1975年にメートル法移行法(Metric Conversion Act)が可決されたが、ロナルド・レーガン政権が発足すると移行政策は頓挫した。市販される商品のパッケージなどには、ヤード・ポンド法とメートル法の並記が普通に行われている。航空分野などのアメリカが強い力を持つ産業分野では、国際的にもヤード・ポンド法を用いて計量することが多い。アメリカ合衆国の祝祭日は、州によって異なる。下記は最も一般的な祝祭日を記載したものである。日本における祝祭日と比べると必ずしも全ての祝祭日が休日となるとは限らない傾向にある。
イギリスはトルコの支配下にあったアラブ人を支援してアラブ反乱を起こさせ、トルコを南方から圧迫した。アラブ人支援の任務にあたったのがアラビアのロレンスことトーマス・エドワード・ロレンスだった。メソポタミアでは1917年3月イギリス軍がバグダードを攻略、パレスチナではエドムンド・アレンビー率いるエジプト遠征軍が1917年12月にエルサレムを占領した。1918年10月、イギリス軍とアラブ軍はダマスカスに入城、アラブからオスマン軍勢力を駆逐し反乱は目的を達成した。連合国海軍はドイツ本国を海上封鎖した。貿易の途絶はドイツの士気と生産力に重大な影響を及ぼした。戦前ドイツはイギリスとの建艦競争の中で大洋艦隊を築き上げていたが、イギリス本国艦隊に勝利できる見込みは薄く出撃を避け続けたため、制海権は常に連合国が保持した。1916年5月、ドイツ艦隊は一度だけ北海への出撃を試み、5月31日から6月1日にかけてユトランド沖海戦が発生した。ドイツ艦隊はイギリス艦隊に損害を負わせたが、制海権が覆ることはなかった。1917年2月、ドイツ参謀本部は、イギリスへの海上補給を絶つことを目標に、ホルヴェーク首相を説き伏せて、Uボートによる無制限潜水艦作戦を宣言させた。この攻撃で沈めた船舶・物資の量は、2月から7月まで1か月当たり50万トンまで達し、4月に86万トンでピークを迎えた。イギリスは多大な被害を受けたが、1917年7月以降に導入した護送船団方式が効果を発揮し、補給途絶の危機を脱した。