2005年には、テロ対策を目的に連邦情報機関が大統領令に基づき、具体的な法令的根拠・令状なしに国内での盗聴・検閲等の監視を行えるようになった。しかし、報道の自由やプライバシーの権利に違反するとして批判の声もあがっている。国際連合の意向の無視や、アメリカ同時多発テロ後からイラク戦争に至るまでの強引な姿勢は、世界中で反米感情を引き起こす要因となった。イラクやアフガニスタン情勢も泥沼化し、友好国だけでなく米国民ですらアメリカの強引な姿勢に否定的な考え方を示した。これにより、強硬路線を見直す方向に動き、2008年に北朝鮮へのテロ支援国家指定を解除するなど、世界における影響力は冷戦終結直後に比べ弱くなっている。また、新興国と呼ばれるBRICSの台頭やアメリカ経済の混乱が発端の世界金融危機により、ソ連崩壊直後から続いてきたアメリカの一極的な支配は限界を迎えているとの見方もある。
男子が装う羽根冠や化粧は、本来儀式での正装であって、天上の大精霊にしっかりと自分を見知ってもらうためのものであり、戦いのためのものではない。羽根冠や化粧を白人が「ウォー・ボンネット」とか「ウォー・ペイント」と呼ぶのは誤りである。大平原では、メキシコ経由でスペイン人によって馬が持ち込まれるまでは、ティピーなど家財道具を乗せるトラボイを運搬するのは犬の仕事だった。馬の登場によって、大平原部族は乗馬を生活に取り込み、「ホース・インディアン」と呼ばれるようになった。馬による運搬・移動力の劇的な向上はティピーの大型化も可能にし、さらにアメリカバイソン(バッファロー)狩りを盛んにしたうえ、各部族の勢力図をも塗り替えていった。18世紀には、平原に南下してきたコマンチ族はアパッチ族を南西部へ追い払ってしまっている。とりわけブラック・フット族は、19世紀半ばまでには北米最大の勢力になっている。馬の所有数は部族や個人の勢力を表すものとなり、交易所でスペイン人から馬を入手するための、他部族や白人たちからの略奪は、19世紀平原インディアンたちの最大の関心事となった。また、馬を部族間で巧みに出し抜きあって盗み合う「馬盗み」は、19世紀の平原インディアンの「誉れ高いスポーツ」となっていった。しかしこれは白人にとっては「到底許しがたい犯罪」と捉えられ、インディアンと侵入者である白人開拓者との文化のぶつかり合いの最大要因ともなった。
ザンベジ川流域は11月末から4月初めまでが雨季、それ以外の時期が乾季であり、それに2ヶ月ほど遅れて滝の水量が増減する。4月と11月では水量に10倍もの違いがある。これは著名な滝の中で最も極端な増減であり、最大水量に対して年間平均水量が少ないことの理由となっている。滝の水量が多くなるのは4月をピークとして2月から5月までで、噴煙は高さ400m、ときには800mまで立ち昇り、50km離れたところからでも見ることができる[2]。満月の夜には月明かりで虹が見えることがある。 反面、この時期は滝の見物には必ずしも向いていない。噴煙が多すぎて滝壺はおろか滝本体を見ることも困難であり、滝の正面にある遊歩道には噴煙がシャワーのように降り注ぐ。崖の淵まで行くと、立ち昇ってきた噴煙によって「下から上に雨が降ってくる」ような状態となり、とくにザンビア側にある Knife-Edge Bridge ではっきりと体感できる。滝の水量が少なくなるのは11月をピークとして9月から1月までである。この時期は滝全体を見渡すことができ、滝壺まで見ることができるが、滝の迫力という点では増水期に劣る。滝の淵にある小島が大きくなり、数も増えてくる。噴煙が少ないため島の地表が乾き、ザンビア側からは滝の淵にできた小島に徒歩で渡ることができるようになる。また、滝壺に降りることができるのもこの時期である。
参照:ニューヨーク州の郡一覧アメリカ合衆国統計局によると、2006年現在のニューヨーク州の人口は、前年より9、538人減少し、2000年より329、362人(1.7%)減少した、人口19、306、183人と概算されている。カリフォルニア州及びテキサス州に続いてアメリカ合衆国で3番目に人口が多い州である[1]。これは601、779人(出生1、576、125人、死亡974、346人)の自然増と、州内への移住者422、481人の減少が含まれている。アメリカ合衆国外からの移住は820、388人増加し、合衆国内部の移住者は約800、213人減少した。ニューヨーク州の人口重心はディアパークがある、オレンジ郡(Orange County)となっている[2]。